3つの言葉


 

 脳ドックの検査を受けた時に、認知症危険度チェックというメニューがあり、危険というレベルではないと思いながらも、多少の緊張感を覚えつつ担当女性の質問に答えていった。
 「お歳は?」 「きょうは何月何日?」 「ここはどこ?」 当然答えられる。
 「3つの言葉を言います。あとで聞きますから覚えておいてください」
これだ。認知症のテストの話題で必ず出てくるフレーズである。
 「桜・猫・電車」
これを「あとで」というのが、くせ者である。このくらい覚えられるだろうと思いながらも緊張の度合いが高まる。
 私は人の名前を覚えるときに1つの手法がある。それは速記文字である。聞いた名前を速記文字に変換して手のひらに指で書き留める。そうすると耳からの情報のほかに、形としての情報と指の動きの感触までも脳細胞に焼き付けることとなる。
 次の質問に移った。
 「100から7を引いて、さらに7を引くことを続けてください」
5回引いたところでOKが出た。
 「八百屋さんに売っている野菜を挙げてください」
 「この文章を読んでください」
 「主語と述語のある文章を作ってください」
次々に指示が出されていく。それにきちんと答えながらも次の質問が出るまでのちょっとしたすき間で、さっきの3つの言葉を頭に浮かべる作業をしておく。サクラ・・ネコ・・
 「5つの品物がここにあります。計算機・体温計・本・コーヒーのシュガー・クリップ」
はい、覚えてください、と言いながらすぐに箱の中に隠された。
ケイサンキ・タイオンケイ・ホン・・・・ありゃ、出てこない。まずい、集中力が薄れた。
3つの言葉の方にエネルギーを使い過ぎたようだ。クリップは出たが、シュガーは完全に飛んでいる。
 最後の質問「さっきの3つの言葉を言ってください」
サクラ・ネコ・デンシャ
手のひらに速記文字を再現しながら完璧に答えられた。
 さあ、やるぞ、という雰囲気の中でのテストでもこのように100点満点が取れるわけではないのだから、日常生活の中では記憶があやふやだったり、飛んでしまったりということが起こっても仕方のないことである、などと自己弁護の言葉をいくつも思い浮かべた一日であった。
(2013.12.22)

女性手帳

「まだ結婚しないの?もう適齢期だよね」
「早く子供産んだ方がいいよ。歳とると大変だと思うよ」
 こんなことを職場の女性に言ったらセクハラだと訴えられます。そんなことは世の男性陣は今や誰でも認識しています。
 政府は少子化問題の解決の一つの方策として、晩婚・晩産化に歯止めをかける狙いから、妊娠適齢期などの必要な知識や自治体の支援策を記した「女性手帳」を作成し若い女性に配るのだそうです。
 これは、少子化の問題が起きたのは女性に責任があるのです。子供を産み育てるという認識が足りないのです。きちんと教えてあげますから、ちゃんと考えなさい。と国が表明しているようなものです。
 いつ結婚するか、いつ産むか、それは今でしょ、と言われても、そんなことは自分で決めることであり、国からアドバイスを受けるようなものではないのです。余計なお世話です。これこそセクハラです。人権感覚がないということにもなります。
 妊娠したらすぐに保育園の申し込みをしなきゃならないということを耳にします。保育園の待機児童の問題は、女性の雇用を不安定なものにし、働きながら子育てするという生活設計が成立しなくなります。こんな不安定な社会では子供を産み育てること自体に悩んでしまいます。これは女性の問題ではなく、社会の問題なのです。
 安倍さんは女性の支持を得ようとして、3年抱っこし放題という女性のキャリア支援策を打ち出したりもしていますが、女性の気持ちをきちんとわかってないとモテませんよ。そういう人には「男性手帳」が必要のようです。
(2013.5.14)

もう2年、まだ2年

 あれからもう2年が経った。
 あの年の春、飲み水や母乳に対する不安を抱えながら孫が生まれた。いっとき福島市内での生活も経験した孫はこの4月に2歳になる。しっかりと歩き、おしゃべりもするかわいい女の子となった。この時間の流れの中で、福島では何か変わったのだろうか、何か進んだのだろうか。
 いまだに30万人以上の方が避難生活を強いられている。政治が責任を持ってきちんと将来の姿を示すべきなのだが、残念ながらそれは形とはなっておらず、地元住民は将来への不安を抱えたままである。
 特に、放射性物質の除染は、復興の第1段階であり、住民が元通りに暮らせるための最初の一歩である。だが、現状では、住宅や農地から20メートルの範囲だけであり、山林は対象外となっている。住宅の屋根の瓦を手で1枚1枚ふき取るとい作業である。面ではなく単なる点である。第1歩と言うにはあまりにも小さく、効果があるのか大きな疑問が残る。そして除染した汚染土をどう処分するのか。現状では物を右から左に動かしたに過ぎない。
 環境省の対応も問題視されているが、ここに科学者の顔が全く出てこないことが気になるのです。原発関連の学者や放射線の専門家など今までの研究を実践に移し、国民の健康を守るべき時ではないのか。それともいまだに、直ちに健康には影響しない、という認識で、国民が騒いでいるのを見て、薄ら笑いを浮かべているのだろうか。(2013.3.10)



何のための除染か
 福島第一原発周辺の除染作業で、取り除いた土や枝葉を現場周辺の川などに捨てる「手抜き除染」が横行しているという。元請けゼネコンの現場監督が指示して投棄した例もあるという。
 これは前田建設工業、大日本土木、大成建設、大林組、鹿島などに発注した300億円を超える国の直轄事業である。
 何のための除染であるか、それぞれの立場で認識がまったくできていないのだと思う。その場の数値を単に下げればよいというものではないはずである。その地域全体の除染により自分の家に帰ることができ、そこに住み、仕事ができ、そこで生活すること、これが復興であり、その第一歩が除染である。その中でもまだ道路の両脇20メートルだけの作業である。
 復興に向けてみんなが精いっぱい涙を隠しながら頑張っているときにどうしてそういう行動をとることができるのだろうか。情けない、というより怒りさえ感じてしまう。大手ゼネコンの行動により住民に対しての国、県、市町村の信頼が失われてしまう。非常に残念なことであり、ゼネコンに対しては腹立たしい限りである。
 そして、避難者の方の笑顔を先延ばしにしてしまった罪は大きい。
(2013.1.6)

マナー、モラルあるいは常識

 私は写真撮影で、観光地などのたくさんの人が集まる場所に出かけたりしますが、そこで考えさせられるような場面がままあります。
 長野の七色大カエデを撮りにに行ったときのことです。見物の方がよく見えるように木のまわりに通路が作ってありました。そのど真ん中にレジャー用の大き目な椅子を二つ並べて60代の夫婦とおぼしき二人組が堂々と座って談笑していました。それも一番きれいに見えるポイントで。幅2メートルくらい。優しい気持ちで受け止めた場合には、二人の前や後ろを通れば行けないことはなく、人の数もそれほど多くもないので、人に迷惑をかけている行動だとははっきり言えない。とはいうものの、ちょっと首をかしげてしまうのです。
 もう一つ、やはり長野での場面。紅葉を見にたくさんの人が集まる展望台の一角にあるあずまや。そこで60代の夫婦と30代の息子夫婦とおぼしき4人組がテーブルの上でキャンプ用のガスバーナーでお湯を沸かし、数多くの食器とたべものを広げ昼食中のようでした。6,7人が座ればいっぱいになるほどの場所なので、そのほとんどを自分たちだけで使っていました。優しい気持ちで受け止めた場合には、あと何人かは座れる席はあります。そこに4人で長時間いても人に迷惑をかけている行動だとははっきり言えない。とはいうものの、それでいいの、と思うのです。
 マナー違反なのか、モラルに問題ありなのか、常識的な範囲なのか、非常識ととれるのか。すっきりと判断できるものではありませんが、何かが足りないと思うのです。
 この人たちの頭の中にあるのは「権利」ということではないかと察するのです。ここはみんなのものである。その「みんな」には当然自分も入っている。だから自分にも権利はある。それがたとえ1万分の1の権利であっても、ちゃんとした権利であって、後ろ指を指される立場ではない。だから、通路に椅子を置くし、あずまやも自由に使う。
 でも、「あなた方が使っているから、私はちょっと遠慮しているんですよ」という気持ちでいる、自分と同等の権利を持っている人たちがあと9999人いるという認識と想像力が不足していると私は思うのです。(2012.10.21)。

ホームヘルパー
 マンションのような外観、すっきりと明るい室内空間。住み心地はよさそうである。だが、入居している老人の顔は無表情。まったく生気がない。一日中何もすることがなく、ぼおっとしている。ここは介護付き有料老人ホームである。私はここで一日を過ごした。
 「野球の金田に似ているね。いい体してるわ。あたしはね、若いころ野球がだいすきだったんだよ。」私は「ありがとうございます」と答えたが、その会話をその日軽く10回以上繰り返すこととなった。ほとんどが程度の差こそあれ、認知症である。
 この人たちをお世話する施設の職員は若い。多くが20代、リーダーとなっているのは30代前半である。この若者たちが介護の現場を支えているのである。
 24時間体制の中では、早番、遅番、夜勤があり、排せつ介助、食事介助、入浴介助など相当な体力を使うこととなる。若いということで対応できる部分である。一方、毎日何回も排せつ介助を行い、毎日何回も同じことを繰り返す会話を聞き、毎日ずっと徘徊し続ける人を目で追いながら神経をとがらせる。ありがとうの言葉ももらえず、治るあてなどない日々を過ごしている年老いた者の姿を若者は受け止めきれない。職員は疲れている。
 離職者が多いということの理由としては、きつい労働ということもあるが、病院の看護の中なら病気が治るという結果があるのに、こういう施設の介護では努力の結果がどこにも出てこないということが大きな理由なのではないか。
 やりがいのない、結果の見えない世界に若者は耐えきれない。
 私がこんなことを感じたのは、現場研修を含めて4か月にわたる研修を受けたからです。この研修で「ホームヘルパー2級」の資格を取得しました。(2011.1)


2013年11月10日 16時36分

ふと思うこと
「誤表記でした。意図はありません。ごめんなさい。」
ロブスターを伊勢海老ですと言って売ることはどう考えたって、偽装でしょ、うそつきでしょう。詐欺ですよ。
なのに、高級なホテル、レストラン、老舗の百貨店の社長が言い訳がましく説明し、マスコミは、その言い分をそのまま活字にして記事としているが、あまり突っ込もうとしていないようなのだ。私はここが不満なのだ。以前にもあった偽装事件では廃業の状態にもなったくらい相手をバッシングしていたように思うが、今回は静かだ。法的に整備されていない部分ということであれば、そこを業界や国に突っついたりすればいいのに。
福島の原発事故以来、私はマスコミに不信感を抱いている。東電や大企業に従順で批判的精神を表に出さない。たぶん上司から言われているのではないか。東電や大企業の対応にはうちの新聞社としての立場がある。そのくらい空気を読め、と。
いや、いかん、いかん。こんな、うがった見方をしてはいけない。私はそんな性格ではなかったはずだ。これはあいつのせいだ。あのY氏のブログを読んでいるうちに自分まで正当な視点で見ることをしなくなってしまったか。気をつけねば。

2013年09月29日 19時58分

ふと思うこと
今年の夏の甲子園での花巻東高校の選手がカット打法で出塁率を上げていて、自分もヒーローになれるかもしれないと思っただろうに、準決勝を前にして、特別規則というルールがあるから理解してくれ、と審判から注意を受けた。これは本人にしてみれば注意どころではない。ルール違反だ、絶対にやるな。という命令と受け止めたであろう。少年の夢が急速にしぼんでいく一言であったに違いない。なにも大会の最中に言うことではないだろう。注意というレベルであれば大会後の総括として、指導上の留意事項として地方大会からきちんと指導する、という対応でいいのではないか。大人の対応じゃないな、少年の気持ちへの配慮が全くない。野球人は体を動かすだけで、あったま悪いな、と感じた場面であった。
もう一つ、ホームラン競争での場面である。バレンティン選手だけではない。過去にバース、カブレラの時も同様に、外国人による新記録を阻止しようという意思がありありの敬遠。勝負をしないという選択肢があること自体が私は好きになれないが、その心根、スポーツマンシップとはかけ離れた行動は、精神が貧弱である。男らしくない。
私としては最近の野球はマイナス要因が多かったが、今回の楽天の優勝はすばらしい。東北の人たちにも勇気と感動を与えた。星野監督の言葉「野球の強さを見せて、東北の皆さんの苦労を少しでも和らげようと選手たちががんばりをみせてくれた」
だれかのために戦う。明白な誰かを持っていることが強さにつながるのだと思う。監督、選手たちは、かっこいい、これがスポーツマンだ。これが男らしいということだ。

2013年08月25日 09時58分

ふと思うこと

久しぶりに放射能の数値をうちのまわりで測定してみた。2年前とほとんど変わらない。そりゃ、そうだ。除染などやっていないのだから。
この2年間で公園や学校などは除染を行い、その成果は得られた。でもそれは生活空間のほんの一部に過ぎない。個人の庭などほとんどやってはいない。なのに、みんな安心したのだろうか、話題にさえのぼってこない。なぜだろう。
もともと目に見えない放射能というものに対して心配だと口にはしたものの、何が安全なのかよくわからない。公園とか数値が下がったんだろ、それならいいじゃないか、と自分を納得させているのだろうか。
その考え方でいくと、福島とかも、復興が進んでいるようで、もう大丈夫なんでしょ。現地に行ったことはないけど、国がちゃんとやるんでしょ。という受け止め方をしているのだろうか。
安心と言える根拠はまだ何もないと思うのだが。

2013年04月04日 19時47分

ふと思うこと
身長180センチ、体重78キロ。この体の大きさは今までプラスに働くことはそんなにあったわけではないが、マイナスになることはなかったと思っている。
なのに、きょうの新聞記事を見て、「そういうことになるの?」と、やるせない気持ちになってしまった。
認知症になった男性は介護老人保健施設でなかなか受け入れてくれないのだそうだ。女性や身長160センチ、体重50キロ以下の男性ならだいじょうぶだという。
体の大きな男性は、体の小さい女性よりおむつ替えの負担が重く、車いすに乗せる際の事故も起きやすいうえ、腕力が強いと認知症ゆえの暴力の心配もある、という理由である。
ホームヘルパーの研修でそれらの行為はたいへんだという認識は持っているが、それを理由に入所拒否となるとは思ってもいなかった。
親にもらったこの体、自分で大切に育ててきたこの体、それが社会から受け入れてもらえないとは、何たる悲劇。

2013年03月11日 22時00分

ふと思うこと
福島市の花見山公園は春になると桜や桃、やまぶきやモクレンなどが咲き競う、個人が作り上げた桃源郷のようなところです。行ってみようかな、と思っていた矢先、あの大地震です。
ここでは「NPO花見山を守る会」が花見山地区全体の花き農家と地域貢献を目的に活動していて、その一つとして桜の植樹の参加者を募集していました。それを知ってすぐに参加しました。と言っても、お金をちょっと払って植樹の代行を頼んだだけですが。その木にはちゃんと名前入りのプレートを付けてくれるそうです。
復興の支援のために何が自分にできるか、なんて考えなくてもいいと思うんです。私がやれることは、こんなもんです。
「私の桜」が咲くのを楽しみにしています。

2013年01月01日 15時32分

ふと思うこと
私の写真が市の広報誌の1面に掲載されました。名前入りで。
印旛沼の初日の出を撮ったときの1枚で、日の出をバックに鳥が羽を大きく広げた瞬間の写真です。その鳥はユリカモメ。
自分では、やったね、という気持ちになりますが、こういうことはあまり話題にならないようですね。誰かが入院したとかいうのは、あっという間に広がるのに。
人の不幸は蜜の味、ってことですかね。

ちょっと感じたこと&エッセイ


2013年12月08日 20時12分

ふと思うこと
毎日新聞の1面に主筆という立場の人が特定秘密保護法の成立に関して書いた文を載せていた。
「新聞、テレビ、雑誌、インターネットと手段は多様化しても国民の知る権利に応え、権力を監視するジャーナリズムの基本的役割は変わらない。報道の原点を改めて確認し、同時代の記録者としての義務と責任をひるまずに果たしていく。」
この文章を読むと、どうしても、原発事故のときはどうだったんだ、そのときも同じ思いだったのか。と突っ込みを入れたくなる。
国民の知る権利に応えていたか。東電の言うとおりに記事にしていただけではないのか。
権力を監視するジャーナリズムの基本的役割を果たしていたと言えるのか。政府の発表をそのまま世に送り出しただけではないのか。
同時代の記録者であると自信を持って言えるのか。
ひるまずに原発事故の真実を伝えたと言えるのか。

 自然の姿

 
私はきれいな花の写真を撮りにいろいろな場所に出かけます。コスモスやチューリップ、ひまわりなど広い面積に何万、何十万本と植えられていて周りの景観とマッチして写真としていい絵になります。この場合は、こちらも人の手が加えられた場所として受け止めているので、大きな花壇とみればそれはそれでいいのかなと思っています。
 でもニッコウキスゲやカタクリ、高山植物の女王と言われるコマクサなどの群落を見ていると、ちょっと違和感を覚えます。もともとはそこにあって、数が少なくなり、草刈りや株分けなど、地元の方の長年の尽力によって群落の形にしたようですが、自然じゃないなと感じてしまいます。1つの種類だけでこんなに広い群落になることは自然の中ではないだろうと思うのです。確かに1本1本を見れば自然の力で生きていますが、それは「自然の姿」ではないと感じます。人の手によって自然の姿を超えてしまったのではないか。
 地元の方の善意による力は大きいのですが、反面、問題もあります。カキツバタの名所となっている池で、地元の方がその生育を促すよう手入れを毎年行ってきました。その結果カキツバタは元気に増えましたが、それといっしょに生育していた数多くの水生植物が激減し、あるいは絶滅しました。結果的には都市部の公園の池にどこからかカキツバタを持ってきて植え広げた姿と変わらなくなってしまいました。
 複雑な生態系で維持されている自然環境の中で、絶滅危惧種と言われているような貴重な種といえども、その特定の種だけをたくさん増やしていくという行為はむしろ自然破壊につながると言えます。善意だけでは自然は対応してくれないのです。(2013.7.21)

泣いた、笑った
 2011年は、命の大切さ、尊さ、はかなさをあらためて感じた一年となった。
 自然の力はすごいなとは普段から感じていたことだが、その力はすさまじく、人間が太刀打ちできるものではないと思い知らされた。ごく普通の生活が一瞬にして目の前から奪われてしまったのだ。人間の弱さを感じた。でも、人間の強さも感じとれた。テレビなどを通して被災者の方の悲しみに涙を流し、生きようとする力に感動し涙した。
 命の尊さを感じたこの年に、新しい命、孫が生まれた。
 3月、出産を目前に世の中が変わってしまった。水が手に入らない。孫のためにペットボトルを求めて走り回った。そして、放射能。母乳への影響、胎児への影響がどうなるのか、情報がない中で不安が増すばかりだった。
 4月28日誕生。みんなに満面の笑顔を与えてくれた。「ようこそ」という思いと「ごめん、あまり住みやすいところじゃないかもしれない」という思いもよぎった。
 出産直後、福島市内で一時期を過ごした。この孫を守らなければ。いまの仕事の原動力である。
 君が生まれたこの年に大人たちは何をやっていたのか、きちんと答えられるだろうか。不安、不信、憤りを感じながらも、10年後、20年後の笑顔のためにいま何ができるか。できることをしっかりやらなければならない。そういう思いを強く感じている。(2011.12)

普通に
 「だいじょうぶ、私たちは人の幸せをねたむほど落ちぶれていません。みなさんは楽しいときは十分笑い、楽しんでください。」新聞に出ていた被災者のことばです。心の強い、優しい人である、という紹介がありました。
 私たちは、ややもすると「上から目線」という態度になりかねない、と感じました。私たちは被害のない幸せな人、あなたがたは被災者となった不幸な人たち、かわいそうに。私とあなたは違う人、という感覚では、ねたむ、という気持ちが生まれてきてしまうのではないだろうか。私とあなたは同じ人という感覚で助け合うことが大事なこととなります。
 助け合うにはどんなことができるでしょうか。まずは、義援金、そして救援物資の提供というところでしょうか。それ以上にはなかなかできることはないかもしれません。となると、あとは普通に生活すればよいのではないでしょうか。
 普通とは、買いだめをしないこと。ガソリン、カップラーメン、水など、いつも通りの量でいいでしょう。牛乳や野菜などを買うときは情報を確認し風評被害を生み出す側とならないようにすること。福島から移ってきた人に健康の確認だと称して放射能に汚染されていないことの証明書を出せと言わないこと。それが普通です。
 普通に生活することが全体が前へ進むための第一歩となります。あえて歩みを止めたり、笑うことをやめたりしたからといって、被災者の共感を得ることにはならないと思います。(2011.4)

かわいい金魚
 私は金魚を飼っています。小さな水槽ですが赤い金魚が3匹ゆったりと泳いでいるのを見ると心がなごみます。
 小さな水槽とはいえ、1週間に一度は掃除をして水の入れ替えをします。水の中へ手を突っ込み掃除をするのですが、金魚はまったく逃げないのです。敵だという認識がないのでしょう。長年人間に飼われているとやはり自然の中の生き物とは違ってくるのでしょうか。
 先日、さいたま市の小学校で理科の実験中に、ガラスビーカーと間違えて塩化ビニール製の容器を電気コンロに載せたために容器がこげて有毒な気体が発生し、4年生12人が体調不良を訴えて病院に運ばれたということが新聞に出ていました。私はちょっと違和感を覚えました。教室全体が火事にあったわけでもあるまいに、その煙を吸わないように口を押さえるとか、さっさと教室の外へ飛び出せば体調不良まではいかないんじゃないのと感じたのです。
 気になります。これは危ない、という自覚、「危険回避能力」が欠如しているのではないか。最近の子供の事件あるいは事故の話の中で、加減ができない、危険の予想ができないことによって大きなできごとになってしまったケースが数多くあります。
 子どもというのは、生活や遊びの中でさまざまな体験をして、ちょっとだけ挑戦をして危険なことについて予知能力や事故回避能力など身体能力を高めて成長してきているはずなのですが、今の子供たちはそういう能力が遺伝子レベルで変わってきているのでしょうか。
 かわいい金魚ということだけでは世の中を泳いでいけないのです。(2009.12)


2013年10月20日 12時56分

ふと思うこと
やっぱり母校という意識はけっこう出てくるものである。
箱根駅伝での前回の5区途中棄権となったわが中央大。29年ぶりに参加することとなった予選会が昨日行われた。その模様を今朝テレビでやっていたが、選手の心情を考えるとこちらまで心が痛くなる。
「申し訳ない」、選手が発する言葉がずしりと重い。
予選会の結果が発表され、「第10位・・・」あっ、だめか。いや今回だけは13位までオッケーだった。「第12位中央大学」。記念大会に助けられ、85回連続出場はつなぐことができた。
正月の楽しみが減らなくてよかった。
こちらとしてはほんのちょっとした楽しみなんだが、選手たちのプレッシャーは相当なものだろう。自分のために、だれかのために、期待に応えるよう走り抜く。たいへんなことだ
そんなに大勢の人に期待されたことないから、わからんけど。

2013年10月09日 20時29分

ふと思うこと
今回の黒部、立山の旅は標高約2500mで3日間を過ごすというものなのにそのほとんどが快晴だったのは本当に最上級のラッキーです。
最近、じわじわと感じていることは、自分は幸せだな、ということ。息子たち3人を何とか社会に送り込み、二人目の孫がもうじき生まれ、自分も妻もそれほど大きな病気にもならず、それぞれが趣味を持ちながら、二人で山登りに出かけられる。
私の人生、もう、これで十分でございます。
これで、おしまい、という意味ではなく、正確にはわかりませんが、確か、正負の法則というのがあり、人生には幸せなこともあれば、悲しいこともある。その繰り返しで、結局プラスマイナスゼロなのだということ。
これから自分が病気になったり、悲しい出来事に会ったり、不幸な状況になったときに、自分はいままで幸せだったから、このくらいはしょうがない、と思い、その不幸を受け容れられるのではないか、と、そんなことを感じています。

2013年09月08日 08時24分

東京は安全だ
残念ながら2020年東京オリンピックが決定されてしまった。私は以前から優先すべきはオリンピック招致ではなく、原発問題の処理だろうと思っていたので、ここでまた世の中の目線がオリンピックにいってしまうことが残念であり、嘆かわしいことである。
先日の9月4日の猪瀬都知事の発言には唖然としてしまった。原発の放射能汚染水の問題についての回答で「東京は安全です」と言ったのだ。その言葉の裏にあるのは、東京は安全、福島はそうではない、私は福島のことは知ったこっちゃない、ということだろう。日本の代表都市のトップが発言すべき表現ではないだろう。どうせその場しのぎで言うのであれば、せめて「日本は安全です」ぐらいのことが言えないのだろうか。
招致委員会の理事長も「福島は東京から250キロ離れている。」と発言している。認識のレベルは都知事と同じだ。その発言で福島の人たちがどう思うかの想像力が全く欠如しているのだ。
安倍首相、マスコミも富士山だ、オリンピックだと、盛り上げ役になっていたが、放射能の問題が外国の記者から質問されて、そうだよな、やっぱり、そこだよ、ちゃんと認識してますよ、と言わんばかりに新聞の1面に出始めた。
この日本はどうかしている。

2013年07月28日 08時22分

ふと思うこと
夕べ、隅田川の花火大会に行ってきました。
今回は花火とスカイツリーを同じ画面に撮るのが目的。中心部の浅草・
吾妻橋に中央突破の作戦。まずは周辺をうろうろしていると、いきなり大雨、ゲリラ豪雨となった。即、帰ることを決断。もうズボンと背中は小さい傘では防ぎきれずびしょびしょに。浴衣姿でずぶ濡れになっている美少女を横目に駅へ向かう。
都営浅草線浅草駅。やっぱり混んでいた。駅の入り口にたどり着けず路上で傘をさして1時間待つこととなった。その間、冷静に人間ウオッチング。
誘導にあたる警察官もたいへんである。時間がたっても事が進まないとイライラしてくるもの。意味がないとわかっていても足を一歩進めてしまう。そこで警察官「押さないで、押さないでください、つらいのはみんな同じです」
最近、警察官の気の利いた言葉を妙に期待してしまう。
こんなひどい状況だが、この中にいま自分がいることに割と満足。60歳になっても気力、体力ともに充実している証拠だ、と自己分析。
撮影枚数ゼロ。

2013年05月06日 19時34分

茂ちゃん
佐倉市の臼井に住んでいるうちの親戚の人は茂ちゃんと呼んでいます。隣の茂ちゃんのことを小さいときから知っている人たちばかり。長嶋さんの兄貴の葬式のとき、その親戚のばあちゃんの葬式が同じ時間に隣の会場となり、隣へ行って長嶋さんと写真を撮ったとみんなに報告をしていました。そんな関係なのです。
私は高校、大学のとき、その長嶋さんの実家の前を通って通学していました。大学2年生のとき、昭和49年10月14日、大学の近くにあった後楽園球場に行きました。長嶋選手の引退のセレモニー。あの「わが巨人軍は永久に不滅です」を生で聞きました。まわりにいたおじさんたちが涙ぐんでいたことを覚えています。
あの日本の、世界の長嶋さんとわりと身近な関係であるかのように話せることをいわゆる一つの喜びとして私の気持ちの中に留めています。

2013年03月31日 19時53分

ふと思うこと
テレビドラマの最終回を見るといつも感じることですが、それまで毎回この先どうなるんだろう、という期待感を抱かせるのに最後はハッピーエンドか、そうではないにしても何の波風もなくあっさりと終わってしまって、結局最後はそんなところに落ち着くんだな、と思うのでした。
私も最終回となる1年となりました。いままで視聴率は低かったかもしれませんが、その最後のストーリーは脚本家にまかせることになるのでしょう。
いや、もしかしたら最後の脚本はご自分で書いたらいかがですか、と言われそうな気がするのです。
さてさて、そうすると、どんなふうに自分を収束させていきましょうかね。
013年02月24日 19時37分

還暦かぁ
きょう、8年ぶりに中学の同窓会が開かれました。
そこで乾杯の言葉を頼まれました
「還暦と言われても気持ち的にはまだそんな感じにならないけど、肉体的にはそういうことなんだなと感じるところはある。平均寿命までにはまだ20年以上ある。これからの人生をお互いに頑張っていこうという気持ちを込めて乾杯しましょう」とあいさつしました。
今までの人生をどのように過ごしてきたか、今の社会的地位がどうか、そんなことはまったく関係なく、45年前の「お前のことは何でも知っているぞ」という関係になる不思議な世界に入ってしまうのです。
ほんの一時、昔の自分に帰り、ほっと一息ついて、さて、またがんばりますか、と思う一日となりました。

2012年12月03日 19時34分

ふと思うこと
また想定外か
きのう起きた中央自動車道の笹子トンネルでの事故のニュース映像を見て、ぞっとしてしまった。山梨や長野へ出かけた時には、この全長4784mのトンネルを通って帰ってくる。今年の7月以降だけでも7回、あの現場を通っている。もしかしたら自分がそのとき、その場にいたかもしれないのだ。そのとき、どんな行動をとることができるだろうか。出口に近いのは前か後ろか。カーナビがあればいまトンネルのどの位置にいるかまでわかるので、それを頼りに動けばいいか。煙が充満したら、どうするか。そのとき冷静に判断できるだろうか。
できないよなぁ。

2012年12月17日 06時02分

ふと思うこと
今年1年間で通夜に出向いたのは13回となった。深い関係もあれば、そうでもない関係もある。悲しみは一様ではない。だけど、遺族にしてみれば、みな同じであろう。
いま読んでいる「エンジェルフライト」という国際霊柩送還を扱った本の中にこういう言葉があった。
 「親を失うと過去を失う
  配偶者を失うと現在を失う
  子を失うと未来を失う」
いろいろな顔が思い浮かんできた。


2012年10月14日 19時49分

ネパール
うちの3番目の息子は右の写真のような激流をゴムボートで下るラフティングというスポーツを仕事としています。今回、研修でネパールに行くとのこと。2番目の息子がボクシングのために宮崎の高校に行くという話になったときも驚いたが、今度は海外、ネパールか。ネパールはラフティングの本場なのだそうな。
親が不安な事柄を口にしても、本人はまったく動じない。そりゃ、そうだな。自分がやりたいことをやろうとしているのだ。いいな、若いって。
お父さんの将来の夢は何って言われたら、答えはあるかなあ。

2012年09月27日 22時52分

だれにもないしょ
自分がいまここにいることを誰も知らない。こんな素敵なことはない。周りの目を気にすることはない。透明人間になったような。
平日の午後、有明でシャラポワの写真を撮った。

2012年09月18日 19時28分

敬老の日
「きょうは敬老の日です」テレビを見ていて、そうか、とぼんやり聞いていた。ところが、夕方息子夫婦からの郵便を見て、「ああっ、そういうことなんだ」といくぶんかのショックを感じてしまった。それは「おじいちゃん、おばあちゃん、だ〜いすき」と1歳4か月になる孫が保育園で作った色紙でした。
「敬老」その言葉の対象に自分が入っている。まあ、おじいちゃんだからあ、そうなんだけどお。

2012年09月17日 15時25分

本を読んで・「おもかげ復元師」笹原留似子著
職業「復元納棺師」の笹原さんの仕事は、なきがらに生前と同じ表情、微笑みを戻してあげて遺族の方に対面していただくというもの。また、今回の大震災のときには被災地の安置所を巡り復元ボランティアとして300人以上の方を戻してあげたということです。死という事実を受け止め、死を受け容れようとする遺族の深い悲しみの様子が綴られています。
私はこの本を読み終えるのに相当時間を要しました。それは納棺の現場での遺族の方の言葉一つ一つが切なくて、悲しくて、やりきれない思いとなり、涙があふれ出し、次のページに進めなくなったからです。1ページごとあるいは数行で、メガネをはずし涙をふく、その繰り返しとなりました。
故人に対して家族がしっかりと向き合う場、大切な人を見送る場であることを改めて意識させてくれました。現代の葬儀は、特に喪主の経験者としては、プログラムの執行者の一人でしかない、という印象であり、心残りを感じるところではあります。

2012年09月16日

ふと思うこと
パソコンを使い始めてから漢字を覚える必要がなくなり、車のナビを利用し始めてから道を覚える必要もなくなった。ナビの方は旅先で地図の読めない妻とのけんかがなくなったのはよいことではあるが。
とすると、私の脳細胞はいま何に使われているのだろうか。能ある鷹は爪を隠す、という言葉があるが、自分に爪があることさえ忘れそうである

2012年09月9日

ちょっと思ったこと
8月パソコンがこわれたのです。新しくノートパソコンを買いました。
ホームページも新しく公開することとなりました。
この際雰囲気も変えてみよう、と思ってみたものの、自分の好みで作ってるわけで、そんなに変わるわけもないんですね。

緑の葉

 木の先端が枯れ始めた場合に、幹まで広がる前に枝を切り落としておかなければなりません。そして土壌や水はけなどに注視してその木が順調に成長するか見守ることとなります。
 私の知り合いに庭師がいます。そのYさんは東京のあの赤門の出身で、経験を積み、理論ではだれにも負けない優秀な方です。
 あるお宅の木が枯れていると見るや、すぐさま作業の手順を考えました。土の状況や水質まで細かに分析をして何が悪いか突き止め、作業に取りかかりました。その動作はちょっと乱暴に見えましたが、すばやく木の枝を切り落としました。
 しかし、それを見ていたご主人は驚きました。切ったのは木の枝ではなく、太い幹の部分だったのです。黒縁のめがねはくもっていたのでしょうか。それとも度が適正ではなかったのでしょうか。取り返しのつかないことをしてしまいました。
 地方公務員法違反だとか、告訴だ、裁判だとかおっしゃる方がおられますが、その理論自体は正しいということになるのでしょうが、その前に、だれのために、だれが幸せになることを願っての行動なのか、話し合いや議論という作業を重ね、くもりのない、はっきりとした目線で対応しなくてはなりません。
その目線はだれから見た目線なのかをきちんと見定めないと、まわりの人たちの信頼という緑の葉が生い茂ることは二度とないでしょう。
(2013.11.18)。

エッセイ


2013年06月16日 22時14分

ふと思うこと
オニバスという水草は以前印旛沼に生えていたが今は絶滅危惧種となっている。その水草の種が泥の中から発芽して花を咲かせたという珍しいケースが起こった。それも個人の庭で。千葉県中央博物館の研究者が学会で発表するそうだ。
その現場がうちの庭にある水槽なのである。
親父が亡くなってからもう6年になるから、沼から泥を持ってきたのはたぶん10年かもっと前のことだろう。その泥の中にあった種が環境がよくなったと判断して顔を出したらしい。
60年間続けていた印旛沼の研究のことにさほど興味を示したこともなかったが、いまになって、おい、ちょっとは身近なものに感じたらどうだ、と言われている気がする。

2013年06月03日 19時54分

ふと思うこと
きのう高校の同窓会に出席してきました。今年還暦を迎える人たちの会とも言う会なのです。
私は高校時代静かな3年間を過ごしていましたので、特になつかしい思い出に浸るというよりは、むしろ、これからのことを考えていました。この仲間と今まで以上に深くつき合うことになるのかもしれないと。
今までそれぞれが自分の人生を走り続けて、ここで定年となり第二の人生が始まる。その同じスタートラインに立ち、これからゆっくりと歩んでいく仲間。
自分の仕事の自慢をすることなく、趣味のことや家族ことをしゃべり、自分の健康、不健康の状態をくわしく笑顔で披露している、そんな雰囲気を思い浮かべていました。

2013年04月22日 22時20分

ふと思うこと
「NPO花見山を守る会」の活動の一つとして復興支援のための桜の植樹を募っていたので去年の12月に応募した。その「私の桜」は花見山公園を一望できる急な斜面に植えられていた。現在約千本が皆さんの協力で植えることができた。震災のあったこと、支援を受けたことを忘れてはいけないんです、と代表の方は話されていた。
私の桜はもう花が咲いていた。木の生きる力、人の生きる力を感じた。

2012年11月05日 22時30分

ふと思うこと
右の写真は車中泊で使う明かりです。電池式ですけど、炎が揺れるように光がまたたくというちょっとした工夫がされています。直径6センチのちっちゃなものですが、そばに置いておくと、ランプの光のように心がなごむ明かりとなります。
こんなちょっとしゃれた小物が手に入ると、なんだか口元がゆるみます。

ちょっと感じたこと


2013年07月07日 15時01分

ふと思うこと
埴 沙萌(はにしゃぼう)という写真家の仕事ぶりが夕べNHKの番組で紹介された。きのこの胞子が飛ぶ様子を連続写真で収めたもので「舞」という表現がぴったりのきれいな写真であって、さすがプロは違うなと思って見ていたら、買ってきたシイタケでも撮れるのだという。これには驚いた。
やり方を聞いていて、これなら自分にもできると思い、さっそくきょうシイタケを買ってきて、強い照明を後ろから当て、接写レンズで撮ってみた。胞子がいつ飛ぶのか、それがわかんないけどね。
おもしろいものをみつけたぞ、という感じである。

2013年02月02日 19時37分

ふと思うこと
孫のおゆうぎかい
1歳9か月になる孫のお遊戯会を見ることができた。300人くらい入る大きなホールの舞台で1歳児がどんなことになるんだろう、と思っていたが、やはり、固まっていた。なんとか右手をちょっと動かしただけで終わってしまった。
出番が終わって帰ってきたときに「よくがんばったね、おつかれさまぁ」と大きな声をかけた息子たちの姿がほほえましく、同時に、30年近く前のことを思い出した。目の前の息子が小さかった時のいろいろな思い出。それと同じ思いをいま息子が経験している。つながっている。つなげることができた、と感じた。

2012年12月24日 17時45分

ふと思うこと
うちの3番目の息子がネパールから帰ってきた。2か月間でラフティングの研修と観光もしたようで、アンナプルナ連峰に登ったそうだ。8000メートル級の連峰の4000メートルの地点までだが、その山小屋で撮った写真が下の写真である。
いいな。写真はとにかくその現場へ行かなきゃ撮れない。
お父さんの夢は何にしようかな。

2012年10月07日 11時51分

快適な居住空間
ホンダNBox+という軽のワンボックスカー、これが想定通り、車中泊で快適な空間となりました。いすを倒し、自分で空気を吸い込むエアーマットの上に愛用の寝袋、吸盤付きのカーテン、夏使った日よけシートを前と後ろの窓へ、毛布そして目覚まし時計。朝が来るのを楽しみにぐっすり。

2012年09月22日 12時51分

彼岸花
うちの近くで一番先に咲いた彼岸花の写真です。やっと暑い夏が終わるんだなと感じるこの花。最近は「彼岸花の名所」というタイトルをみかけるほどに親しまれる花になりましたが、ちょっと前までは、忌み嫌う存在でした。それはこの花の毒を利用して水田の畔や墓地に植えモグラや虫などがその毒を嫌って避けるようにして荒らされるのを防ぐ目的があったようで、それが不吉なイメージにつながったようです。
人に嫌われる存在がいつしか親しまれるような存在にもなるんだなと、彼岸の日に思うのでした。

2012年09月11日

ふと思うこと
息子がプロボクサーとなって6年がたった。
もうそろそろ引退かと思っていたら、ジムの移籍、心機一転がんばるという形となった。
親としては複雑である。自分の意志を貫き通してほしいと思う反面、もういいだろ、という思いにもなってしまう。
いつかはピリオド、踏ん切りをつけるときが来る。その判断力が備わっていることを願うばかりである。